悟りに導く道

最大な煩悩はいやいややるという気持ち

うざいとか思ったり

やっても出来ない、無駄だと思うあきらめや

不満ですよね。

それを滅するためには

無意識でやったり

なるべく楽しようと思う心を捨てることです。


一畳位ある達磨の絵を描いた白隠が書き終わって

弟子にどれだけの時間で書き上げたのかを聞かれて

「70年」と答えたそうですが

その一瞬のために今までの人生がある

そういう生き方をしていきたいですよね。



その一回一回を手を抜かず

ここに来るために今までの人生の全てがあったかのように

いつも初めてのように初心を忘れず

毎日生きている中で

全身全霊で

一本の電話をしたり

親や子供と話をしたり

そういう生き方をしたいですよね。


実は渾身の力を込めて100%でやるのは疲れません。

6割から7割の力でやるのが一番疲れるそうです。

疲れの原因は燃えカスだから。

8部くらいだと2割の燃えカスが出てしまいますからね。


本当に悟りたいなら、

戒律を守って、

定着するように

余分な心を捨てて本気でやることです。




ただなんとなく

やらなきゃならないからでは

自分の意思も意図も無い。


決意が無い。



なぜ人を救いたいのか?

なぜ自分が良いと思っていることを伝えたいのか?


儲けたいからとか

楽になりたいからとか

なんか建前ばかりで

どこかに自分(エゴ)がいるようなら

どうして人に納得してもらうことが出来るでしょうか?



この出会い、

この鑑定のために

この講義のために、

今まで生きてきた

そういう講義や鑑定をしていきたいと私は常に思っています。










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本物や吉に敏感になるための環境つくり

縁無き衆生は度し難し

行と学が中途半端な人は本物を逃します。

本物をやっていないと本物がわからないからです。


縁が出来るまではしかたないですが

縁が出来なくても、作ろうと模索しても良いでしょうね。

今回もあるヨギに会いたくて会えなくて

翌日行ったら会えたのですが

自分が本当に会いたい、やりたいと思うことを

縁がないからとあきらめず、2度3度やることは大事です。

特に、七赤、九紫の人は2度目に強いですしね。

吉方を取ると縁に恵まれるようになります。

明るくなるし、吉に敏感になります。


私たち生命は毒に敏感で一滴の毒でも死にます。

つまり悪いと思うことには敏感で凶に敏感です。

自分にとって毒だと思うこと

マイナスだと思うことに敏感で

人の欠点がすぐに見えます。

だからこそ、

吉に敏感になるようにしたいですよね。

意識は吉のほうへ吉の方向へと。

自分の良いところ、人の良いところに注目し

自分にとって学ぶべき良いものを捉えていきたい。


吉に敏感になるために年に少なくとも三回は恵方参りをしたら良いですね。


また最大吉方を取り入れてラッキーカラーを身につけたり

食べ物を取り入れたり

日々吉の中に身をおくことが極めて大事です。


隠れた吉を見つける目を養うためには

自分が吉の中にいないと駄目です。


選択とは、悪いものを選択しないよりも

良いものを選択することが大事だからです。


子供の頃からやらないと中学高校生からでは親の言うことは聞きません。

小さいうちからの環境、習慣も大事です。




反対に、自分が今朝ふと選んだ服を見てみましょう。

無意識に選んだ服が最大吉方なら良いですが

凶方だったら、凶の中にいるかもしれません。

自分の無意識の行動から

今置かれている状況を確認することができます。

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星の象意の講義をします。

講座は本当に毎回違います。

その人の今に合わせて開催しますので


とりあえず、3月1.3.4日

来週の月、水、木ですが

14時半からスカイプで

星の象意を全部やりたいと思います。

それがわかったら

次は傾斜鑑法という世界で村山先生しか見れない

鑑定法を伝授いたします。

傾斜はその人の人生のテーマや克服法がわかります。

私は傾斜が1白なので離婚しやすいのですが

それぞれの星で、学びたいと思っているのに

思った通りに行かないとか

いつもお金に苦労するとか

そういうものが見えてくるので

生き方や心がけが学べます。

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もう辞めようかと思っていましたが・・・

「次に何をするのですか?」

「どこにいくのですか?」

そういう質問をする人には答える必要はありません。

自分がどこに行くのか決まっていない人(悟りえてない人)は

人のことばかり気になるのですが、

きっと言っても理解しないから。


興味だけで聞いているので、

きっと親切に丁寧に話したとしても

その人は何も触発されないでしょう。


自分の行く方向や目的が明確に決まっている人は

相手が次に何をするかとか興味を持ちません。

きっと素晴らしいことをするでしょうから期待しています

そういう言い方をするでしょうね。


本物は、ひと言言えば理解しますが

アホな人はいっぱいしゃべっても時間の無駄です。


アンソニーホプキンスさんに久米さんが

「次は何を?」とインタビューして

彼はすごく不機嫌になったそうです。

「なんでお前に話さないといけない?」みたいに。


でも、筑紫さんが

「次もなんか考えているんでしょう?楽しみですね」と言うと

「わかるか?あとで酒でも飲みながら話そうか」と来たそうです。


人に対してどういう質問をするかで

本物かどうかわかりますね。


ヨガのクラスだったかHPで告知している方からからきいたのですが

「今回行けないのですが、次はいつありますか?」と聞く人に

本当に来たためしはないそうです。


私の受けているコアセッションの講師のheeちゃんも

「次あるかどうかわからない」

いつもそういいます。


私もこういう講座がありますと書くときもありますが

ほとんど、本当に学びたい人が言ってきたときだけ

縁ある人に声をかけて開催しています。


自分の人生を本気で変えるのだと決意のある人だけが

集まってくださるし、

続けてくださるので、

その方がいらっしゃる限りは続けようと思っていますが


インドから帰ってきてからは、

もう、講義をやめようかと思っていました。


だって人間は変わらなくて、ありのままで良いじゃないかと思えたし

この人はこうだと決め付けたり、二元化したり

マニュアル化するのは意味が無いし

常に全てのものは変化するものだから

生まれを知ることとか

未来を知ることって意味があるのかな?と・・・疑問に思ったから。



でも、私が最悪な環境にいたときに

そこから出られたきっかけは

預言カフェや、

占いというのを初めてやって(カバラとか四柱推命でした)

自分に自信が持て

自分の運命や運勢を信頼できたからで

今のような生活があるのは

村山先生と出会って

人は努力だけでは人生を変えられないのだと知って

吉方を取ったり、名前を変えたおかげなので

やはり、そういうことを知りたいと求めている人が

どこかにいるのであれば、

今良いと信じて

今自分ができることを

最大の努力でやりたいと思いなおしました。



自分のエゴをコントロールする方法は

知っている人から教えてもらわないと気がつかなかったし

話を聞いたのは2年前でも

理解するのには2年もがかかったし
(もちろん学びに終わりはないでしょうが・・)

ものの見方とか考え方とか

自分の中にトラウマや信念や負のものがあって

それを通して見ていたら

変えたいとも思わず、

自己犠牲を続けていただろうと思います。


やはり、人は人に触発されて成長していけるものだから・・・・

こういう目には見えない、

私なりに理解して実践しているスピリチュアルと

世界一といわれている義理派のトップの村山先生から学んだことなどを

バランス良く混ぜ合わせ

本物への道、真理を自分で導ける人になる

お手伝いをしていきたいと思います。











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なぜ吉方や選名で人生が変わるのか?

たくさんの苦行をしている人に会いました。


その方々から祝福を受けたらステージが上がるとか

ガンジス川で沐浴をしたから、カルマが消えるとか

ヒンドウーの人は信じていますし

本当かどうかは目には見えませんから

誰にも確証はないのですが、

本当かな?

と思って村山先生に聞いてみると

「カルマというのは行動という意味なので

 行動が消えるとかというのはありませんよ。」とのこと。

仏教には生まれ変わるという観念も無いとのこと。



「前世がどうの、来世がどうの

誰にもわからないから

今を一生懸命生きるしかないでしょう」

というお言葉をいただきました。


え~~~~?

私はずっとリインカーネーションがあると

仏教で、いっていると勘違いしておりました。


先生は4歳の頃から日蓮宗のおじいさんのお寺で

冬には毎朝、氷を割って水をかぶり、

2000m以上の山を毎朝先輩僧侶たちと登って

雪に埋もれながら、全身あかぎれがひどかったそうです。

5歳で四書五経を読み、

大学院では仏教学のドクターも取っていらっしゃって

さまざまな師について修行とか苦行をしてきたそうです。

その先生が言われるのは


一人で瞑想をしたり、苦行をしたりというのは

大変そうに見えるけど、

所詮、自分だけのことだから、楽なものだとのこと。



釈迦はそのことが理由で苦行をやめたそうです。


本当に難しいのは

人に教化すること、

つまり説得することだとおっしゃいます。




相手にわかってもらって、

納得してもらって、それをまた

同じようにやってもらっていくということのほうが

自分で修業するよりも大変だと。



それこそが、一番の難しい修行だとすると

名前を変えるとか

吉方を取るとかいうことが、

よほど厳しい修行より大変だとわかります。



時間の都合をつけたり、

仕事を調整したり

お金を投資したりもそうですが、

家族を説得しないといけません。



人を説得して、納得してもらわないとできないからです。

協力してもらわないとできないですよね。


それって結構大変なことです。

名前は変えられませんと

ほとんどの方が言われます。

自分の名前を変えるなんて、

親に申し訳ないと。


仮吉方で3ヶ月ほど家族と離れて暮らすのも

その間、自宅に戻って、眠ることもできないし

食べることもできません。

家族のために食事を作って

うっかり味見をしてしまって

最初からやり直した方が

何人いることか…。


簡単なことのように見えて、そうそうできるものではありません。


それくらいのことをするから人生が変わるのですよね。


もちろん、そういうことの前に

朝起きるとか生活を正すことは

当たり前にできて当然での話です。


釈迦もウパカを説得できなかったことで落ち込み

その後説法の質がぐんと上がったそうです。

一度くらいの失敗でくじけず

自分を磨き成長していきたいですよね。


だから私は、代行でカルマ解消をするとか

お金を払って、済ませるというよりも

仏教的に、生活の中で

自分の使う言葉使いを気をつけるとか

子供の話を聞いてあげるとか

母の話に耳を傾けるとか

そういう自分の行動こそが

大事だと思うし、

日盤吉方のように、毎日何かを続ける

この持続こそが大事だと思うのです。



一回だけ何かしたら良くなるというのでは

エゴが安心したいだけのような気がするのです。


毎日マントラを唱えるとか、

ヨガをするとか

菜食を続けるとか・・・・。

持続することのほうが

難しいわけで、

だからこそ、そういう結果が期待しているわけではないけど

ちゃんと用意されているのだろうなと

思ったりします。

もちろん、勉強もそうですね。

もう知っている、わかっているという慢心ではなく

学べば学ぶほど、自分の無知さをしります。

日々、学ぶ機会を得られていることに感謝です。

今日も母を連れてヨガに行きました。

ヨガは心と体がどれほど一体なのかを思い知らされます。

だから、心を変えるのは難しいから

体を先に変えていくのだと言われます。

形を変えることで中身が変わる

名前も、吉方も、家相を整えることも

中身を変えてくれるものです。

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本物や一流の人は?

道元が

「何のために本を読んでいるのか?」

中国で修行中、西川からきた、お坊さんに聞かれました。

「故人の修行を学んでいるのです」という答えに

「それは何のために?」

「日本に帰って人々に教えを広げるため」

「何のために?」

「人々を幸せにするために、人々を救うために」

「何のために?」

聞かれて最後は答えられませんでした。

そのとき、

答えが出てこない間はやっても無駄だと悟ったそうです。


釈迦だったら、きっとこう答えたでしょう。

「人々に教化するのは(説法するのは)何のためか?」と聞かれたら?

「それが使命だから。そのために生まれてきたから」

と。


そういう決意ができていないと

人はついては来ませんよね。



落語家さんで、

なぜ落語家をしているのか聞かれて

「話すことが好きだからと答えてはいけない」

と弟子に語った方がいます。

「趣味につき合わせているのか?」という話になるからです。

音楽が好きだから

絵を描くことが好きだから

そういう人に一流の人はいませんね。


世界で一つだけの花という歌がありますが

オンリーワンでよいといいますが

やはりオリンピックを見ていても

ナンバーワンになるくらいの人だから

オンリーワンのわけで

そこそこで中途半端でよいと勘違いしてしまってはもったいないですね。

それなりの技が毎日の積み重ねで培われてこそオンリーワンになるのですから。


一流になるためには自己流では駄目ですね。

瞑想でも自己流でやると宇宙に意識がいき危険です。

知ることも、行なうことも師が必要です。

しかしながらそれはある段階まで。

水の飲み方までは教えられても、

飲むのは本人であり

決意だけは教えられるものではありません。

決心とか、決定というものは教えられません。

相手に決心させる、教えをもって改心させることができるということは

よほど釈尊本人に、徳と輝きがあったかということですね。

心と体(顔や眼)の輝きがあったからということからも

やはり説得のスタートはその人の持つオーラですね。

昭和天皇もそういうオーラを持っていたそうです。

思わず、マッカーサーの奥様が伏して崇めたそうですから。


それにしても釈迦の弟子は個性が皆違い面白いですね。

今の宗教団体はどれも同じ雰囲気の人ばかりがいますが

釈迦に、

「もっと早くしゃべってください」とか

「声がかれているのでうがいをしてください」とか

要求したそうです。

それに対して

釈迦はニコニコして応じたそうです。

一つのことに打ち込んでいる人は美しいですね。

こういううれしさを持続させたいですね。




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しなくても良い苦労をしない方法

意図するとはどういうことなのか…


例えば、ラーメン屋を始めたとして

最初はお客さんに喜んでもらいたいという意図が

あって商売を始めるのとします。

しかし、それが日に日にずれていき、

近頃では、

借金を返すためにとか

なんの意図もなく続けていけたりもするものです。


会社員しかり

自営でも何でもそうですが

ただ何かを「したいから・・・」だけでは

駄目なのですね。

したいというのは意図ではありません。

豚は食べたいから食べますし

犬も寝たいから寝ますが

意図はありません。


意図がないと

同じものを引き寄せます。

意図のない人・・・

だから求人募集をしても

トラブルを起こすような人を

採用してしまったりします。

問題を起こす人を採用しているのも

その問題も

実は自分に意図がないからなのですね。



結局はしなくてもよい苦労を背負うことになります。


通常は意図をもっていたら

苦労をしても発展していくものです。



ここが大きく違います。

パートナーが店を大きくしたいとか

設備投資をしたいなど

事業拡大をしたいということもよくありますね。

脱サラして商売始めたいとか

転職したいとか....

そういう時でも

意図がなくて

ただなんとなく、

サラリーマンが嫌だから

一人でやってみたいなど言い出す人もいるものです。

今の仕事が嫌だからとか

上司が嫌だからとか

そういうのは意図ではありません。

そういう人に対し、

反対をせず、

違和感はあるし、

なんかおかしいと、気にはなっていても、

そういう自分の声に耳を傾けず

パートナーを信じてあげようなどと

寛容に振舞うと

一緒に沈没するはめになります。

反対しない、注意しないというのも

寛容に見えて、ただの甘やかしです。

その人の自立を妨げており

意図をもってすればもっと素晴らしい人生を築けるのを

妨げていることになります。


やはり、ルールがあって生きているので

ただなんとなく、

放浪の旅に出てみたいとか出かけて

アフリカなど海外で殺される日本人も

少なくありません。

沖縄に移住して9割がまた本土に戻ってきたり…

ただなんとなく・・・

こういうのは意図があるとは言えません。


5本指ソックスも最初はなんか

履いて気持ち良いですが

履きにくいし、ぬぎにくいし

あれは本当は体にも良くないのですよね。

それと同じで、

最初の意図をずっと持ち続けることは結構難しく

毎日意識していないとずれてしまいます。


相手がどこから発言しているのか?

パートナーや子供が

あるいは自分に意図があるのかどうか…

どうやって見分ければよいのでしょうか?

相手の気が(あるいは自分の気が)

上にあるか下にあるかで見ます。



上にあるときは助けてはいけません。

下の丹田のあたりから発せられているときは

たいてい意図があるので

どんなに不必要だと思えるようなことも

手助けしてあげる必要があります。


これを見極めるコツは

その人をぱっと見たときに

自分の目が相手の上にいくか?

下にいってしまうのか?


ほんの最初の一瞬で決まります。


自分の目が引き付けられる方からメッセージが

発せられているはずですから。

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意図を持って生きる

何のためにインドに行くのか…

多くの人から聞かれました。

私も、これという目的もなく

何か意味があるはずくらいで

参加しました。

沐浴するため?

聖者に会うため?

会うと何かいいことがあるのか?

会えなかったら意味がないのか?

今回の旅で一番大きかったメッセージは

「意図をもって生きる」ということでした。

何のためにという、

目標とか

目的ではありません。



これを私も勘違いして生きていましたが・・・

意図というのはもっとあやふやなもの・・・。


神様はすぐに力をくれます。

聖者も祝福をしてくれます。

でも、その力を使いこなすのには

何十年もかかります。


低級霊とかはすぐに力をくれて

すぐに、使えるようになるそうですが

悪魔(エゴ)に使われてしまっては

魂を売り渡したヒルズ族のように

なってしまいます。


神も悪魔も、同じ力を持っています。

それを私たちはうまく使いこなせないといけない。

つまり、主体はあくまでも私。

私が、エゴを使いこなさないといけない。


自由に好きなことをしても良いと勘違いしがちですが

そういう能力の高い人ほど

一般のルールを守れなかったりします。


霊的な世界では、肉体がない分

何でも夢の中のように

思った通りに何でも叶いますから、

霊性の高い人は

そういう癖があるので、

答えがわかっているから

途中のプロセスがあほらしく思ってしまいがちです。


この肉体をもって生まれている現世では

いくら答えがわかっていても、

そこにたどり着く式を

ちゃんと出さないといけないというような

めんどくさいアプローチも必要になります。


インドが好きだと言っても、

規則を守らないと入国できなかったり

あるいは帰国できなかったりします。



意図がなく

ただ、聖地に行けば幸せになるとか

パワーをもらえると思うのは

ちょっと違うわけです。


ツアーだからといって

次は?と受け身で

人に流されて

ついていくだけなら

何の意味もありません。


本来ならそうやってガイドについていく

団体行動が得意なことが

優等生でしょうが

それでは何の意味もありません。



この聖者に会いたいのに会えなかったから

明日もう一度行きたい。

沐浴を私は108回やりたい。

もう一度明日も沐浴をしたい。

など意思表示をはっきりしないと

失礼だという話になりました。


「時間が許すなら・・・」

「みなさんも行くのなら…」

そんなことは謙遜でも何でもないのだと。


ガイドさんを3時半に起こして

他の人が1回潜るところを

100回以上潜って待たせることになることになるのだったら

こうしたいという意図がなければ

人の迷惑になるのだと。



このさじ加減が難しいですね。


我がままに生きるのでもなく

流されるのでもなく・・・

寛容さとか甘やかしとか

昨日の日記も書きましたが

紙一重のところなのでしょうが

大違い。

意図を持って生きることは

自分のためでもあり

人のためでもあるのですね。

これができていないと

不必要な苦労を背負うことになります。

この話はまた次回に・・・。

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あたりまえのことこそ貴重

インドから帰ってきました。

信じられないような時間の流れを体験しました。

深く深く気づきが多く・・・

一言では言い尽くせませんが・・・


成田着後、元旦那が車で岐阜まで送ってくれて


久しぶりに家族4人そろって過ごしました。



たった一日家族で過ごすという

こんなあたりまえなことが

しばらくできなかったことで

当然のことのようなことでも

これほどまでに貴重なものだということを

気づかされました。




今までの私は

彼が子供を厳しくしつけようとする時に

私は彼の味方をせず、

いつも、子供をかばい

彼を傷つけ

子供を甘やかせてきて

中途半端な優しさで、

慈悲と寛容さと、甘やかすことをはき違えていたようです。



娘がパパと別れてからもずっとずっと泣き続けるので

母が

「あなたは、パパにはまたいつか会えるのだからいいじゃない。

 おばあちゃんは、じ~じとはもう二度度会えないのだから」

と いう言葉に


いつでも会えると思ったり

いて当然というようなことは

この世の中、何もないのだなと改めて感じます。




いつかという将来の話をしたり、

一緒の夢を見れるということは

どれほど、素晴らしいことなのでしょうか?




今までは、勉強とか、お手伝いをしない子供にも、

稼いでこない、家にお金を入れない夫に対しても

「役に立つ」かどうかという眼で見ていました。


だから当然、自分も人の役に立たないといけないかのような

プレッシャーというか錯覚がありました。

専業主婦の人などはこういう感覚をお持ちの方

きっと多いとおもいますね。


でも、今ははっきりとわかります。

その人が存在するだけでいいのだと。


このコップは水がくめるから役に立つとか

ありがたいとか

意味づけをするのはナンセンスで

これこれだからありがたいとかではなくて・・・

ただただ、そこにあるだけで、

存在するだけで、いいのだと・・・ 。



こんな簡単な答えを見つけるのに

わざわざインドまで行かなくても

離婚までしなくても

人は気が付ければいいのに…



お金を稼いでなくても

役職や肩書がなくても

社会的になんら貢献などしていないように見えても

いてくれるだけで良いということを

私に気づかせてくれるために

こういう家族であったのでしょう。


ガンジス河の沐浴をしたおかげで

カルマの解消がひとつできたのかもしれません。


宿題をしないとか

ゲームばかりしているとか

子供に対しても、コントロールしようとして

「あなたがあなたのままで良い」と

頭では分かっているのに

言動が伴わなかったのですが・・・・

これからは

ありのままの現実をそのまま受け止める

今、その瞬間瞬間を感じていけるように

なりたいとおもいます。



ついついありもしない未来ばかり見て

眼が悪くなるから

将来勉強が遅れると困るから

そんな理由で

子供の心を破壊していたような気がします


「今日しかない」と

毎日生き始めたら、

何をするかではなく

何であったとしても

一緒に過ごす時間を共有することでしょう。



ガンジス河の沐浴のおかげで

何のために私に違和感を感じさせるものが存在していて

それにどうしたら同化出来るのかを

少し気づかせてもらいました。



テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

心をプラスにする開運コンサルタント國友秀夏(shucca)

Author:心をプラスにする開運コンサルタント國友秀夏(shucca)
マインドズーム代表
村山幸徳先生の
「正位気学会」
認定スーパーバイザー
TOEファシリテーター
(認知心理学、行動心理学)
九星気学、姓名鑑定、易、
家相、顔相、などを学ぶと
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