お墓を建てる時期について

お墓を建てる時期についての質問がよくあるのでお答えします。

建てていけない時期は建てる人の
年齢をみます。

六曜で見て仏滅と赤口を除いてならOKです

誕生日前なら2プラスして
誕生日後なら1プラスしてください

数えでみます。

お母さんが建てるけど仏滅だからという場合は
息子さんの名前が墓に刻まれるのであれば
息子さんが仏滅赤口でなかったら大丈夫です。



お墓は石が白いほうが良いですし
(黒いのは汚れが目立たないので良いと勧められますが)

玉砂利などもしかず、

英雄眠るみたいな肩書き、名声なども書かないほうが良いと聞きます。

木なども植えない方が良いです。

ぽちとひと押しお願いします

テーマ : 実用・役に立つ話
ジャンル : 趣味・実用

無知こそ罪悪

「大吉祥経」で「幸せとは?」

という問いにお釈迦さまが答えているんだけど

「愚かな者に近づかないこと」

というのがあって、どういう人かというと

貧・瞋・痴(どんじんち)の人なんですよね。

自分のことだけ考えているみみっちいせこい人と(か

すぐ怒る人とか、焼きもちを焼く人のことです。

なぜこうなるかというと、智恵がないからなのですね。

今お金払ったとしても後で入ってくるという智恵があったら

怒らないだろうし

この現象がどれだけ良くなるか考えられるだけの智恵があったら

今が悪くても腹が立たないわけで・・・

そう考えると

学んでくるとこの3つは無くなってくるので

心を清めるよりも学ぶことの方が大事なんだって納得です。

無知こそ罪悪

山に登ったり、水をかぶるような修行で清められて

良くなるなら

とっくにクマやカエルの方が悟ってるときいて

笑えました・・・。

また

「かしこき人々に近付き親しむが良い」ともあります。

賢き人って上の3つの消えた、いつも静かに笑っている人のこと。

賢き人々に触れられることが幸福なんだって

2500年前のお経に書いてあるんだよね。

久々に「こころの達人」の通信講座が始まって

最初のマンスリー勉強会に

東京まで行ってきます。

それだけの価値がある「かしこき師」なんです。

前にセミナーでどういうのが良いか悪いかというのを話した時に

内容よりもどういう受講生が集まるのかが大事と思ったことがあります。

今の私があるのはここで学ぶみんなのおかげであり

ここで出会った人は一生の宝なので

東京を離れられなかった理由の一つがこの講座だったけど

ちゃんと通信講座もスタートして学びが続けられるのは感謝です。


さらにこの経典に書いてあるのでうれしいのは

身につけろではなく、習うのは良いと言っているところ。

功徳を積むことが大事ではなく、積もうと思うことが大事

というところ。

良い事をしようと思うだけで良いのだと。

褒められたりけなさりたりに心を乱されることなく

それが手に入るか入らないかによるのでもなく

愁いも怒りも無く安穏の中にいることが一番の幸福なのだと。

そうか~。

常に人の言葉ではなく、

自分が納得できるかどうか・・・基準は自分。

誰かがどういうかとか

どう説得するか、納得してもらうかなんかより

傷がいえることより

解決できそうな気がするという希望があるかどうか・・・で

元気もやる気も出てきて

心が静かになる。

これぞ幸福です。



テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体

幸せになるには・・・パート1 感情と切り離せ!

思い返して反省をすると同じ失敗を繰り返す

イチローはアウトになった時のバッティングはすぐ忘れるという

良いバッティングのみ覚えている

人はなかなか過去が頭から離れない

後悔や悲しみや恨みがなかなか忘れられない

だからずっと流れて行かないから

何度も来る

つまり自分が呼んでいるのだ・・・

だからマイナスにこだわる人は成功しない

悲しみで生きている人に喜びはない

冬に生きている人に春は来ない

うれしいことを思い出すのは良い

でもその時の悔しさのまま今を見るなら

頭はいつまでも保守的で切り替わらないから

昔のままの生活をずっと続けてしまう

これが輪廻なんだ・・・。

なぜか・・・

いまここに心がないから

いつも過ぎ去った過去と
まだ起きても無い未来に心が行っている・・・

今ここの心を見ないで
物事だけをみているから

今これで良いという確信がない

核となる心がない

これで良いという決着がない

過去への不満と未来への不満

なぜ?

正しく物を見れないから…

いつも感情が先になってちゃんと観察できないから。



感情を捨ててまず見ることが正見

そこから正思が生まれ、正語となり正行となる


正しく見ることができると

ちゃんと捉えるし、ちゃんと人にも伝えられるし

ちゃんと行動ができる。


正見できないから智恵も出ない。

智恵がないから

感情の押し流され正しく見れず

幸せの道を選択できない。



不安がある人は何も対処していないから不安で

不満があるのは・・やっていることに満足していないのは

自分に対する自信がないから。


どちらも、自分に対する自信のなさから実践がない

だから何か戒めを作って

毎日続けないと・・・

生活を切り替えようとか

食べる前には手を合わせようとか

何かを定着させると智恵が沸いてくる


賢い人というのは

今を良く観察し、揺らがず、動じず

見極め実践する人

今できることを納得できるまでやる人。

基準は自分。

相手を喜ばすためとか

相手を説得納得させることが基準なのではなく

自分の心を鎮めることができる人のこと。


道元曰く

一大事とは今日ただいまのことなり

~最も大事なことは今一瞬~

エックハルトトールとか今言われているようなことは

ず~と昔、2500年も前阿含経典の中の「一夜賢者経」に書かれている

やはり仏教は素晴らしい・・・

想とはそこにある現象をしっかりとらえること

念とは今のように未来をとらえること

今一瞬一瞬を大事に・・・

一つの些細なことをできるのを賢者という

このお経が大好きだった宮沢賢治

雨にも負けずのあの詩のように

そういうものに私もなりたい

テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体

空とは縁起であり、つまりは智慧のこと(般若心経解説)

「色」とは出来事のこと

「受」とはそれを受け止める感官のこと。つまり五感。

それに意識が加わると六感といいますが

私たちが出来事を見たり、聞いたり、触ったりしたことで

これはどういうことなのか?考えるのが「想」

そして結果として「行」いをして

記憶として残っていくことが「識」

この5つが五蘊(ごうん)です。

人間は出来事があって、
それについて
その時思った感情と、
どう行動したかを覚えています。

だから記憶というのは全く客観性がなく
自分の中でどう受け取ったかによるわけです。

とらえ方によって「色」自体が変わってくるというのが
お釈迦様の大発見ですね。

ちょっとスピリチュアルな話になりますが

肉体は魂によって動いているとしたら、
その見えない「心」というか魂は目に見えません。

目に見えないものを誰が傷つけられるのでしょう?

誰かに傷つけられたと思っていること自体が誤解ですね。

人は皆自分の解釈の仕方、つまり受け取り方において
自分で傷をつけているのです。

嫌なこと言われても、
受け取らなかったら傷にならないで済みます。

受け取って大事に並べてしまっていると
傷しか見えなくなります。

うつ病とかもそうですが
物の見方によって起こる病気をなぜ
見える薬というもので治すことができるでしょう?

大事なのは思いちがいの目線をはずすことなのですよね。
思い癖というものを変えていくとか。

そのために神様ならどうみるか?

仏様ならどう見るか?

般若心経なら観音様ならどう見るか?

そういう視点にしていくことを般若心経は説いているのです。

この経典の主人公は観音さまで
観世音菩薩=観自在菩薩といいます。

色を自由自在に見ることができる。
いかようにも自分で受け取れる見方
聴き方を選択することができる。
苦しみに埋没することなく、
世の中のすべてを自分の都合のよいように
相手と自分にプラスに受け取ることができる人という意味です。

架空の存在で女性のような形をしていますが
実は男です。
この般若心経というのは、
お釈迦様が舎利子に向って
観音様は「空」を体得しているんだよと説明している経典です。

観音の五眼(げん)とは

① 真実を見極める真観

② 不安と不満をとった清浄観

③ 相手のためになろう、
     相手を生かして立派にしてあげようという広大智慧観

④ 悲しみを分かってあげる悲観

⑤ 一緒に喜んであげる慈観

この5つが身に着くと空の眼が身に着いたことになります。

智慧を身につけようと
行を深めたその時に心(五蘊)
は空なのだと明らかに分かったと
言っているのですね

この受け取り方をきれいに受け取るためには
行を深めないといけませんが
空を体験した人に触れることで
人は変わっていくのだといいます。

色即異空 空不異色
は否定形で

色即是空 空即是色
は肯定形で

君は駄目じゃない 絶対大丈夫 という
否定形で触れて本物にさせていくか
君は良いよ、今のままでやりなさいと
肯定形で触れて本物にさせていくか

まさに、村山先生は空を体験している方なので
先生の授業に出ているだけで
2-3年で人がガラッと変わっていくようです。

なかなか人は今までの癖があって
心の満たし方を幸せで満たすことに慣れていないのですが
苦労や、過去の不幸に固定してしまうよりも
良い縁に触れて、空を悟った人に触れることで
縁起の持つ可能性を高めることができるわけです。

般若とはこの空を悟ることを言います。

空とは縁起であり
縁起とはつまり知恵なのですね。
(お釈迦様は、徳とは言っていませんね)

この知恵によって、良縁を呼ぶのですから
チャンスが来たというよりも
自力で知恵を身につけることが
人生をうまく生かせる秘訣です。

テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

引き寄せの法則の元になる考え方

今日の仏教塾は般若心経でした。

今青山や原宿を歩いている女子大生の
8割が一番興味のあることが「般若心経」で
9割の人が座禅を組んだことがあるそうです。

でも残念なことに
そのお経の意味を教えてくれる人がいない

仏教の「空」というものが何なのか?

縁起というものが何なのか?

五蘊(ごうん)というものが何なのか?

先生は簡潔に教えてくださったのですが
何回かに分けてこれをシェアしてみたいと思います。

まさに、これを知ることで
先生がなぜ良い人材を会社にいれようとしないのか・・・
良く分かりました。

縁とは
AとBがあったら
AからみたらBは縁
BからみたらAが縁

その両方が出会ってスパークして結果として
出てくるFが縁起

普通西洋ではAが50%Bが50%の責任とみるのを
仏教では両方が100%とみて
リスクの分散が起こりません。

だって拍手も片手では鳴らないからというのが原理

だからけんかをしたとしても、
どっちの責任ではなく
私の性である
私にも因がある、
私も悪いとみるのですね。
(相手も悪いでしょうが…)

そして、もっと素晴らしい考え方が、
AがBが衝突する前に
例えばMとAが喧嘩したとします。

その時に、Aの心の中にできた縁起が
イライラ、怒りだったとします。

その感情があったせいで、
Bとぶつかるのを避けられなかったとみるのです。

つまり、
自分の心の中に何が生まれたかによって
次の縁を引き寄せて
新たな縁起を作り出してしまうのです。

そしてさらにその新たな縁起によって
またAの心の中に新たな感情ができて行くので
常にAはAの状態ではなく、
AからA’というように形を変えていきます。

形が変わる、実態が無いものだから「空」
全てのものが変わっていくと見て行くのです。

縁によって生れて
瞬時に縁によって変化していくので
自分の心が全てを起こしている
心が現象、世界を作り出していくので
心のありかた、見つめ方が大事だということになります。

まさに「引き寄せの法則」の
基になっている考え方なのですね。

そうなると
自分の成長もいかようにも変わっていくし
良くも悪くも自分の受け取り方で
全て変わることになりますから
相手が悪いと決めつけない方が良いわけです。

いつまでも嫌いなものはないから
誰でも何でも、好きになった方がいいし

いつまでも続く苦しみというものも無いから
一喜一憂することもない


いつも対象物を良いものだと見る
「空」はまさに可能性を追求しているものなのです。

私はもっと良くなるし
あなたももっと良くなるという
善意と可能性

縁起の持つ可能性に焦点を当てれば
カードは自分が持っているのだから
相手が悪いとか
景気が悪いとか
だまされたとか
認めてくれないとか
不平不満が無くなるはずです。

自分にかかわればどんな人も良くなるし
私がしっかりしていれば
私が成長したら全部超えていけると
不安は無くなるし
不満のもとになっているものがあれば
それは私をさらに成長させてくれるものなのだという
見方ができるようになりますからね。

だから、
良い人材を集めようという企業は儲かりません。
他力本願だからです。
自分がどう成長するかなので
こいつは駄目だとジャッジして落としても
他に行って、
起業家で成功する人もいます。

素晴らしい人だって、いつかは落ちていくかもしれません。


相手は自分と縁したら
2年で一人前になるくらいに思っているから
先生は誰でもパートナーにされるのですね。

人間の作り方も、
儲け方も
どうなるかの決定権は
常に、私にあるということです。

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恐怖と不安を克服する方法

恐怖というものを消すにはどうしたらよいのか?

生命の根源である
この恐怖と悪い感情を取り除くのが
仏教のもつ最大の力である

道元は
自己を習い、自己を忘れると恐怖から離れるといった

つまり恐怖をなくすには、
自分を習う自分にこだわることだという
普段私たちは
あんなこと言われたからやる気なくす…
みたいに周りに左右されがちだけど
人ばかりこだわるから駄目になる。

あの人ばかり儲かって…なんで私だけ?とか
人ばかり気になり
過去にこだわり、
怒りや
つまらない思い出や
出来事にこだわると不安が生じる。

成果はどうでもよいのに
将来の結果を気にして
まだ、起きてもいないのに
ありもしない不安に襲われる

だいたい自分を忘れるくらいに
生きているという感じを捨てないと
死の恐怖までは取れない

自分がどうするか・・

自分というものはどこが100%なのか知っている。
だから手を抜いていたりして余力があると不安を感じる
やっていないところに不安は生じるのだ

3割くらいしかやっていない人は恐怖はないが不安がある

7割くらいやっていると恐怖が残る

自分はだませないから、自分の中の嘘いつわりを隠すために
相手のせいにして
不満を強くしているのだ。

自己成長とはつまり
不満が消え、不安が消え、恐怖が消えていくこと


100%生きている人は死をも恐れない

恐怖を克服した人というのは
禅の僧であったり
ガンジーや
マーチンルーサーキングだったり
ダライ・ラマだったりする。

ガンジーも
演説をするわけでもなく
テレビもラジオも普及していない時代に
彼自身の恐怖を克服しただけで
10億人の民を独立させた

人を煽ることも無く、
私についてこい
もなく。

こうすれば間違いないという
生き方の真理があるゆえに
恐れがないのである

この真理こそが神や仏なのだろう。

もっと大きく見せたいとか
やっている振りのような虚偽がある人は
恐怖と不安が離れない

子供は邪心がないので控え目で
真実の探求が簡単でも
私たち大人は、
「やっている、知っている」という慢心があり
この真実にまみえることが難しく
自分の好き嫌い、損得で動いてしまいがち。

宗教というものは
目の前の些細なことを見ても
神ならどう見るか?仏ならどう判断するか?のように
正しい見方を与えてくれる

「立派になりたいとか
人を疑うことをやめ
智慧を得ようと真剣に努力すると
恐怖が消える」
というのが
般若波羅蜜多心経にある

どこまでも、自己成長にこだわり、
100%にならなくても
やっていない自分自身も認め
だからこそ
人だってできるわけないんだと許し
認めていくいことこそ
真実に近づく生き方ではないだろうか?

恐怖と虚偽が切り離せないように
真理と怖れぬことはつきものである
「インドの発見」ネルー








                    

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悟りに導く道

最大な煩悩はいやいややるという気持ち

うざいとか思ったり

やっても出来ない、無駄だと思うあきらめや

不満ですよね。

それを滅するためには

無意識でやったり

なるべく楽しようと思う心を捨てることです。


一畳位ある達磨の絵を描いた白隠が書き終わって

弟子にどれだけの時間で書き上げたのかを聞かれて

「70年」と答えたそうですが

その一瞬のために今までの人生がある

そういう生き方をしていきたいですよね。



その一回一回を手を抜かず

ここに来るために今までの人生の全てがあったかのように

いつも初めてのように初心を忘れず

毎日生きている中で

全身全霊で

一本の電話をしたり

親や子供と話をしたり

そういう生き方をしたいですよね。


実は渾身の力を込めて100%でやるのは疲れません。

6割から7割の力でやるのが一番疲れるそうです。

疲れの原因は燃えカスだから。

8部くらいだと2割の燃えカスが出てしまいますからね。


本当に悟りたいなら、

戒律を守って、

定着するように

余分な心を捨てて本気でやることです。




ただなんとなく

やらなきゃならないからでは

自分の意思も意図も無い。


決意が無い。



なぜ人を救いたいのか?

なぜ自分が良いと思っていることを伝えたいのか?


儲けたいからとか

楽になりたいからとか

なんか建前ばかりで

どこかに自分(エゴ)がいるようなら

どうして人に納得してもらうことが出来るでしょうか?



この出会い、

この鑑定のために

この講義のために、

今まで生きてきた

そういう講義や鑑定をしていきたいと私は常に思っています。










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なぜ吉方や選名で人生が変わるのか?

たくさんの苦行をしている人に会いました。


その方々から祝福を受けたらステージが上がるとか

ガンジス川で沐浴をしたから、カルマが消えるとか

ヒンドウーの人は信じていますし

本当かどうかは目には見えませんから

誰にも確証はないのですが、

本当かな?

と思って村山先生に聞いてみると

「カルマというのは行動という意味なので

 行動が消えるとかというのはありませんよ。」とのこと。

仏教には生まれ変わるという観念も無いとのこと。



「前世がどうの、来世がどうの

誰にもわからないから

今を一生懸命生きるしかないでしょう」

というお言葉をいただきました。


え~~~~?

私はずっとリインカーネーションがあると

仏教で、いっていると勘違いしておりました。


先生は4歳の頃から日蓮宗のおじいさんのお寺で

冬には毎朝、氷を割って水をかぶり、

2000m以上の山を毎朝先輩僧侶たちと登って

雪に埋もれながら、全身あかぎれがひどかったそうです。

5歳で四書五経を読み、

大学院では仏教学のドクターも取っていらっしゃって

さまざまな師について修行とか苦行をしてきたそうです。

その先生が言われるのは


一人で瞑想をしたり、苦行をしたりというのは

大変そうに見えるけど、

所詮、自分だけのことだから、楽なものだとのこと。



釈迦はそのことが理由で苦行をやめたそうです。


本当に難しいのは

人に教化すること、

つまり説得することだとおっしゃいます。




相手にわかってもらって、

納得してもらって、それをまた

同じようにやってもらっていくということのほうが

自分で修業するよりも大変だと。



それこそが、一番の難しい修行だとすると

名前を変えるとか

吉方を取るとかいうことが、

よほど厳しい修行より大変だとわかります。



時間の都合をつけたり、

仕事を調整したり

お金を投資したりもそうですが、

家族を説得しないといけません。



人を説得して、納得してもらわないとできないからです。

協力してもらわないとできないですよね。


それって結構大変なことです。

名前は変えられませんと

ほとんどの方が言われます。

自分の名前を変えるなんて、

親に申し訳ないと。


仮吉方で3ヶ月ほど家族と離れて暮らすのも

その間、自宅に戻って、眠ることもできないし

食べることもできません。

家族のために食事を作って

うっかり味見をしてしまって

最初からやり直した方が

何人いることか…。


簡単なことのように見えて、そうそうできるものではありません。


それくらいのことをするから人生が変わるのですよね。


もちろん、そういうことの前に

朝起きるとか生活を正すことは

当たり前にできて当然での話です。


釈迦もウパカを説得できなかったことで落ち込み

その後説法の質がぐんと上がったそうです。

一度くらいの失敗でくじけず

自分を磨き成長していきたいですよね。


だから私は、代行でカルマ解消をするとか

お金を払って、済ませるというよりも

仏教的に、生活の中で

自分の使う言葉使いを気をつけるとか

子供の話を聞いてあげるとか

母の話に耳を傾けるとか

そういう自分の行動こそが

大事だと思うし、

日盤吉方のように、毎日何かを続ける

この持続こそが大事だと思うのです。



一回だけ何かしたら良くなるというのでは

エゴが安心したいだけのような気がするのです。


毎日マントラを唱えるとか、

ヨガをするとか

菜食を続けるとか・・・・。

持続することのほうが

難しいわけで、

だからこそ、そういう結果が期待しているわけではないけど

ちゃんと用意されているのだろうなと

思ったりします。

もちろん、勉強もそうですね。

もう知っている、わかっているという慢心ではなく

学べば学ぶほど、自分の無知さをしります。

日々、学ぶ機会を得られていることに感謝です。

今日も母を連れてヨガに行きました。

ヨガは心と体がどれほど一体なのかを思い知らされます。

だから、心を変えるのは難しいから

体を先に変えていくのだと言われます。

形を変えることで中身が変わる

名前も、吉方も、家相を整えることも

中身を変えてくれるものです。

テーマ : モノの見方、考え方。
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人間の見分け方

8歳から10歳までが

一番人生で輝いているときです

この頃の眼と顔の輝きは素晴らしい。


一番感動を得られる時期で

一番健康で、

人生で悩みが無いときで

このあと性に目覚めると、好きな人ができたり

肉体が変化したりして

悩みというものが生じ始めるのです。


この10歳までの頃に塾に通わせたり

母親ががみがみ言ったり

不機嫌な顔ばかりだったり

夫婦仲が悪いと

その後、

非行に走ったり、

やんちゃな人と結婚して失敗してしまったり

無感動な子になってしまったりするそうです。


さて、そのような輝きがあるかどうかがは

実は、人を観る観点

つまり、人間を図る尺度


悟った人は、

①顔がきらきらしています。

悟るというのは認識する

判るということです。

明らかに観る

これはこうだととらえることです。

② 肌のつやも良く

 ひたいが光り輝いています。

③ 姿勢が良く、

④ 思想を持っているので、

語る内容が違います。


これは釈迦が悟った後に

ネーランジャラー川のほとりで

ウパカ(これが馬鹿の由来)という

ヒンズー教のお坊さんに

される質問の内容なのですね。

「素晴らしい顔をしておられる。

素晴らしい肌の色をしておられる

一体あなたは誰の弟子であるか?

いかなる思想を奉ずるものであるか?」

と。

釈迦のように悟った人や

心が澄んでいる8歳から10歳の子供は

眼の輝き、顔が違うのですね。

キラキラ

ただし、お金の亡者はこれに点がつきます。

ギラギラしてますので

要注意です。

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心をプラスにする開運コンサルタント國友秀夏(shucca)

Author:心をプラスにする開運コンサルタント國友秀夏(shucca)
マインドズーム代表
村山幸徳先生の
「正位気学会」
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(認知心理学、行動心理学)
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